脱施設化(deinstitutionalization)とは、精神病院などの施設に収容されている患者を、ノーマリゼーションの考えに基づいて、施設から解放し、地域社会で患者個々のニーズにあったサービスを提供することを指します。
目次
脱施設化の歴史
脱施設化の失敗(デメリット)
脱施設化の歴史
保護の時代(1870-1880)
この時代では「社会参加の難し い知的障害者は入所施設内で守るべきだ」とする保護中心に変貌します。
地域住民の知的障害者に対する偏見、地域での援助サービスの不足、雇用機会の欠如などによって、知的障害者の社会復帰は減少し、施設に滞留する者が増加しています。
サービスは知的障害者自身を社会から守るための分離、多数の施設入所者を可能にする大規模化、入所者の無償 労働奉仕を利用した低コストの施設運営の三大特徴で示されます。
社会防衛の時代(1880~1925)
この時代では、社会から守られるべき存在と考えられた知的障害者は一転して「社会への脅威」の存在となります。
「知的障害は劣性因子を遺伝させる治癒不能の病気である」とする優生保護の考え方が台頭し、知的障害者と犯罪、不道徳な性行為、貧困とを関連付けた論文が多く発表されます。
また、知能検査の普及で、通常の生活をしてい た児童の多くが知的障害者とされます。このような中、知的障害児者は州立入所施設に積極的に隔離され、医師を中心とする医療組織から施設内の「棟」に住む「患者」と見なされます。
居住棟は施錠され、窓には鉄格子という閉 鎖病棟化し、長期入所者は自発性の欠如、過剰な夢想・幻想、新環境への恐怖感、職員への過剰依存など、施設環境への過剰適合が見られます。
移行の時代(1930-1950)
この時代では、州立入所者は約20万人に達し、ネバダ州を除く各州で大規模施設が運営されます。ニューヨーク州ややイリノイ州では入所者数が4000人から8000人の大規模施設が見られます。
一方では、社会防衛の思想や隔離型のサービスに対して、適切な援助下では、「知的障害者も地域社会で生活可能」「知的障害者と犯罪との関連性への疑問」「里親制度、養子縁組制度などによる家庭的環境の提供や早期の訓練は療育効果有り」とする論文が多く発表されます。
1920年代には入所施設からの仮退所制度も軽度知的障害者で開始され、家族、雇用主、そのほか善意の援助者の支援下で地域生活可能となっています。
脱施設化の時代(1950-現在)
この時代は、デンマークのバンクミケルセンが提唱したノーマリゼーションの理念に端を発しますが、米国のウルフェンスベルガーの「ノーマリゼーションは普遍的な原理であるが、実践においては同時にそれぞれの国の文化、伝統、 歴史などの風土と深く関わったものであるべきだ」 などの考え方で大きく進展します。
つまり、入所・隔離型のサービスから知的障害者個々のニーズにあったサービスを地域社会で提供する脱施設化の時代に180度の方向転換をします。
1967年には約20万人の知的障害者が全米の161カ所の大規模州立入所施設を利用していましたが、翌1968年以降、利用者数は毎 年3%から6%ずつ減少を続け、1998年には4分の1の5万人まで減少します。
それに代わって、小規模な地域型居住施設(グループ・ホーム、中間施設など)の数は1960年の336カ所から1996年には70635カ所へと飛躍的に増加し、利用者数も1960年の5000人以下から、1996年には25.5万人へと急増します。
サービスの形や理念は医師を中心とした「知的障害は症状の軽減が出来ない」とする医療モデルから、教育・ソーシャルワーク、心理学等の専門家の協力により「知的障害があっても適切な訓練・教育の機会が提供されればその人の能力は伸長する」とする発達モデルへと変貌しました。
脱施設化の失敗(デメリット)
脱施設化に対して、さまざまな見識者から、賛否の声が挙げられていますが、その中でも多く言われている脱施設化の失敗について取り上げます。
脱施設化の失敗
アメリカで脱施設化が進むにつれて、さまざまな予期していなかった問題が起こりました。患者を精神科病院から退院させたものの、そのあと、家族と地域住民は、患者が地域社会の中で生活する上で必要となる支援や管理をするのが困難になっています。
結果として、地域社会に放り出された患者は必要な支援が全く受けられず、多くの患者は路頭に迷うこととなってしまいました。
米国では2004年時点において、重篤な精神疾患を患う患者で定期的な治療を受けられている当事者は、全体の40%以下しかいません。更にはホームレスの25%は、未治療の重篤な精神疾患を患う患者となっています。