オリエンタリズムとは、パレスチナ系アメリカ人の文学研究家エドワード・サイードの定義によると、オリエントを支配し再構成し威圧するための、西洋のスタイルであると言えます。
今回は、サイードのオリエンタリズムの概念をわかりやすく簡単に、歴史的な流れとともにまとめています。
東洋の植民地化
18世紀以来のヨーロッパで、人々は東洋人に対してのイメージは、「好色で怠惰、自分の言語や地理などを把握できず、独立国家を運営する術もなく、肉体的にも劣っている」という認識をしていました。
東洋人は自分の国のことを語りえないとして、欧米人言語学者、地理学者、鉱山学者などが現地を調査しました。実際に、彼らを中心に東洋学会、大学での東洋学講座といった制度が作られました。
制度によって権威とされた知は、植民地政策に利用されることになります。18世紀半ばに起きた産業革命により、ヨーロッパ諸国が植民地政策を強化していくなかで決定的なものになりました。
西洋は、「未開の地を開拓する」という名目のもとオリエントに対する支配を、経済的にも政治的にも強めていったのです。
このようにして成立した、西洋側の、東洋(オリエント)に関するイメージと制度、権力の組み合わせ、それがオリエンタリズムなのです。
東洋を利用したアイデンティティの確立
しかし、西洋が、トルコやエジプトから日本に到る諸地域を一括して「東洋」とよぶ根拠は、地理的・政治的・宗教的・言語的・民族的・経済的・文化的・歴史的など、いかなる観点から見ても存在しません。
つまり、オリエントとは、むしろヨーロッパ人の頭の中で作り出されたものなのです。さらに、西洋社会にとっての「オリエント」とは、自らのアイデンティティを確立し、異文化への支配を正当化するために発明された他者であったのです。
「東洋人」という表象によって、本来把握しきれるはずのない多様な人々を一気に把握できて、そして「そうした東洋人とは異なるもの」すなわち「彼らのように怠惰でも、好色でも・・・ないもの」として「ヨーロッパ人」の自己理解が成立するのです。
これらのことをまとめると、オリエンタリズムは、西洋が東洋という「他者」を疎外することで自らの文化の力とアイデンティティーを獲得し、それによって同時に「東洋」を管理し、支配するための文化装置であったのです。